本田 圭佑
Keisuke Honda

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プロフィール 選手紹介 毎年の成績
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Profile

フルネーム 本田 圭佑
Full Name Keisuke Honda
国籍 日本
生年月日 (年齢) 1986/06/13 (38歳)
出身地 大阪府/Osaka
身長 / 体重 182cm / 74kg
ポジション MF
利き足 左足
リンク
MF
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
利き足左足

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2008-09シーズンのオランダ2部リーグでMVPを獲得し、日本代表でも中心選手に成長した次世代のレフティ・モンスター。その年にはVVV同僚のFWカラブロに「お前がゴールを決めているのはyoutubeだけ」と冗談を言われたことが有名であるが、開幕からの4試合連続ゴールを含めて16得点をあげる活躍を見せ、大きな話題を集めた。

ガンバ大阪のジュニアユースに所属していた時代のあだ名は「ゴリ」。家長や安田理などとともにプレーしたがトップチームに上がることが出来ず、星陵高校に入学。高円宮杯や高校サッカー選手権で活躍を見せ、2004年には特別指定選手として後に入団する名古屋の練習に参加している。

なお、高校時代の先輩に当たる豊田はTV番組で「一年の時からレギュラーだった本田が『上下関係なんていらへんな』と言ったことで伝統的に行われていた先輩後輩の関係がなくなり、彼が卒業した後に『いや、上下関係はやっぱ必要やで』という3年の言葉で復活した」というエピソードを明かしている。豊田は1年先輩であるため、1年生の時に後輩の仕事をし、2年からは先輩風を吹かすことができないという貧乏くじの学年だったという。

大胆不敵で決して物怖じしないハートの強さは大器の予感を漂わす。かねてよりビッグマウスといわれるほどの高い目標を公言することで高いモチベーションを維持し、努力を続けるという方針をとっており、自身の確固とした道を持っている。それゆえに北京五輪終了後には「それはごもっともだが、俺の考えは違った」という監督批判ともとれる発言で、問題児のように捉えられたことも。

2005年に入団した名古屋グランパスエイトでは開幕戦から先発出場。フェルホーセン監督からは左サイドバックで起用されたことでも有名で、Jリーグでは現在の本田圭佑を思わせるようなプレーを見せたことはそれほどなく、早い段階での海外移籍から劇的なステップアップを見せた選手だといえる。これもまた、彼の高い目標に向かっていく姿勢からの結果であったといえるだろう。

上記のように、2008年にオランダのVVVに移籍し、降格後の2008-09シーズンに大きな活躍を見せて選手としての格を大きく上げた。外国人ながらもキャプテンマークを巻くなど大きな信頼を受けており、1部を戦った2009-10シーズンも前半戦だけで6ゴールを決めた。

日本代表には2008年に初招集を受け、2009年に行われたキリンカップのチリ戦で初ゴールを獲得。その際には「シュートすれば枠内にいく技術が俺にはある」と自らの成長を語っている。

そして代表での大きなポイントとなったのが2010年ワールドカップ。岡田武史監督はうまく行かないチームを世界で戦わせるため、本田をワントップで起用する守備的なシステムを直前に選択。
大きな期待をかけられることになった本田であるが、そのプレッシャーを力に変え、初戦となったカメルーン戦で決勝点を決めた。さらにデンマーク戦では無回転フリーキックで名手セーレンセンを翻弄しゴールを獲得。決勝トーナメント1回戦のパラグアイ戦も含め、4試合で3回のMOMに輝いた。

ザッケローニ体制となって間もない2011年アジアカップでも、今度は本職のトップ下として日本代表の中心選手として貢献。大陸制覇の立役者となり、エースとしての立場を確固たるものとした。

クラブレベルでは、VVVから2010年1月にCSKAモスクワへと移籍。ロシアリーグでも屈指のMFとして知られるようになり、チャンピオンズリーグでも無回転フリーキックからセビージャ相手に得点を決め、欧州全土に映像が出回った。

違約金の問題が大きく伸し掛かっており時間はかかったものの、2014年1月にはついに自身が臨んだ欧州トップレベルのクラブ、ACミランへの移籍が決定。初年度の半年間は適応に苦しみチームも低迷したが、2014-15シーズンは開幕からゴールを量産する活躍を見せ、一時は得点ランキングトップにも立った。

左サイドを中心に複数のポジションを試されてきたが、主に両サイドか中央のMFとしてプレーすることが多い。トラップが吸盤のように吸い付くというよりは、ソリッドな技術にオランダで成長を見せた強いフィジカルも併せ持つ。その意味では、かつての中田英寿を彷彿とさせる技術とフィジカルの融合を見せるスタイルである。

特に「誰にも負けない」と自負する左足の可能性は無限大。高速にして不規則な軌道を描くナックルシュートの使い手として、プレイスキッカーとしての名声と実力はJ最高クラスと言われた。五輪代表の香港戦で決めた「2度曲がる」フリーキックは、解説をしていた金田喜稔氏が「こりゃGKが可哀想だよ」と語ったほどのもので、世界中で大きな話題となった。

CSKAモスクワ移籍後は、課題であった運動量の少なさが改善。チームNo.1の走破距離を誇るまでに成長している。また肉体面の向上も目覚ましく、正道会館最高師範の角田信朗氏も称賛していたほど。

公式サイト:http://keisuke-honda.com/

History

シーズン 国 ディビジョン チーム名 リーグ プレーオフ 備考
出場 先発(途中) 得点 出場 先発(途中) 得点
2008/09 2 VVVフェンロ 36 35(1) 16
2009/10(01/02) 1 VVVフェンロ 18 18(0) 6
2010 1 CSKAモスクワ 28 23(5) 4
*
2011/12 1 CSKAモスクワ 25 22(3) 8
2012/13 1 CSKAモスクワ 23 21(2) 7
2013/14(01/03) 1 CSKAモスクワ 18 18(0) 1
2014(01/03)/14 1 ミラン 14 12(2) 1
2014/15 1 ミラン 29 26(3) 6
2015/16 1 ミラン 30 23(7) 1

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