パブロ・サバレタ
Pablo Javier Zabaleta Girod

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プロフィール 選手紹介 毎年の成績
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Profile

フルネーム パブロ・ハビエル・サバレタ・ヒロード
Full Name Pablo Javier Zabaleta Girod
国籍 アルゼンチン
スペイン
生年月日 (年齢) 1985/01/16 (39歳)
出身地 ブエノスアイレス/Buenos Aires
身長 / 体重 174cm / 74kg
ポジション DF
利き足 右足
リンク  
DF
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
利き足右足

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メッシ、アグエロとともに2005年のワールドユースを制したメンバーの一人で、同代表のキャプテン。

際立った能力は無いものの弱点が少なく、与えられた仕事を熱心にこなすので計算しやすい選手である。チームのために必死に走り回れるハードワーカーだが、サイドバックとしてはクロスの精度にやや欠ける点と、闘志が行き過ぎてカードをもらうのがもったいないところ。

首都ブエノスアイレスの西に位置するアレシーフェスでサバレタ家の長男として生を受け、少年時代はテニス、トライアスロンなどサッカー以外でのスポーツを満喫。その後、「プロサッカー選手になりたい」という夢を持ち始め、サッカー一本に絞ると、父の積極的なアプローチもあって、サン・ロレンソのテストを受ける権利を獲得。12歳とは思えぬ運動能力の高さを買われて入団が決まると、それからは学校が終わるとすぐに母ラウラが運転する車に乗り、往復5時間をかけて練習場に通う生活を送った。その後、14歳の時に、母ラウラが糖尿病を発病したこともあり、寮生活を選択。U-15アルゼンチン代表にも招集されるなど、着実に実力をつけていった。

しかし、彼が15歳の時に悲劇が訪れる。ラウラの急死だ。何の前兆もなく糖尿病がきっかけとなり、母がこの世を去るというダメージはサバレタに大きな衝撃を与え、一時は「残された兄弟を世話するためにサッカー選手の道をあきらめる」とも考えた。だが、父ホルヘは息子の優しさを感じながら「このままサン・ロレンソでプロを目指すんだ。遠く離れたブエノスアイレスまで送り迎えをしていたのは一体誰だ?お前はそれを一生忘れてはならない」と説得。その言葉に力をもらったサバレタは「プロサッカー選手を目指す」という道を再び力強く歩き始めた。

そして、キャプテンに任命されたU-17W杯を経て、2002年に9月に念願のトップチームデビューを達成。以降は「サネッティの後釜」としてインテルが獲得に乗りす噂が流れるなど、アルゼンチン国内リーグを代表するタレントの一人に飛躍。最終的にはエスパニョールへの移籍を決めたが、ここでも順調な活躍を見せ、08/09シーズンからマンチェスター・シティでプレー。右サイドバックを中心に、左サイドバック、MFとしてもつかわれるなど、安定感のある貴重なユーティリティ―プレーヤーとして重用されている。

なお、ユース時代のチームメイトが「彼は常に周りを引っ張ってくれているリーダー」だったと語るように、そのキャプテンシーは各年代で評価されているが、その優れたリーダーシップを物語るエピソードとして有名なのがリオネル・メッシとの話。メッシは2005年6月に行われたU-20W杯では、当初ベンチメンバーであったが、グループリーグ初戦のアメリカ戦が終わった時に、監督のフランシスコ・フェラーロ相手に「レオの才能は僕だけではなく、みんなが認めています。一度、スタメンで使ってみてくれませんか?」と主将サバレタが提案。メッシは次戦のエジプト戦から起用されると、最終的には得点王とMVPのダブル受賞を果たし、チームを優勝に導く大原動力となった。これ以降、サバレタとメッシは親友の一人として信仰を深めているが、メッシは「パブロがいなければ、今の僕はいない。彼は偉大なキャプテンだよ」と最大級の賛辞を送っている。

History

シーズン 国 ディビジョン チーム名 リーグ プレーオフ 備考
出場 先発(途中) 得点 出場 先発(途中) 得点
2008/09 1 マンチェスター・シティ 29 26(3) 1
2009/10 1 マンチェスター・シティ 27 23(4) 0
2010/11 1 マンチェスター・シティ 26 21(5) 2
2011/12 1 マンチェスター・シティ 21 18(3) 1
2012/13 1 マンチェスター・シティ 30 29(1) 2
2013/14 1 マンチェスター・シティ 35 34(1) 1
2014/15 1 マンチェスター・シティ 29 29(0) 1

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