アマウリ
Amauri Carvalho de Oliveira

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プロフィール 選手紹介 毎年の成績
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Profile

フルネーム アマウリ・カルヴァーリョ・ジ・オリヴェイラ
Full Name Amauri Carvalho de Oliveira
国籍 イタリア
ブラジル
生年月日 (年齢) 1980/06/03 (43歳)
出身地 カラピクイバ/Carapicuíba (SP)
身長 / 体重 186cm / 83kg
ポジション FW
利き足 右足
FW
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
利き足右足
選手表記のゆらぎ アマウーリ

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プレーエリアの広さと空中戦での強さがストロングポイントのアタッカーで、ボールスキルも兼備する。またブラジル出身ということで、トリッキーなフェイントやノールックパスなども好む。

晩成タイプで頭角を現すのに時間を要したが、最初に芽が出始めたのは03/04シーズンに所属したキエーヴォでのこと。指揮官デル・ネーリの信頼を得てレギュラーポジションを獲得。シーズンを通して活躍し29試合出場で4ゴールをマークした。その後06/07シーズンにパレルモへ移籍。ここではフィオレンティーナへ移籍したルーカ・トーニの後釜として迎えられた。07/08シーズンに34試合15ゴールを挙げ一躍脚光を浴び、ビッグクラブのスカウトの注目を集めた。争奪戦が繰り広げられる中、彼を獲得したのはユヴェントスだった。金銭プラス、ノチェリーノ、ランザファーメの共同保有権譲渡という条件が、アマウリの評価の高さを表していた。

ユヴェントス移籍後はレギュラーポジションを獲得しチャンピオンズリーグなど欧州の舞台でもプレー。この辺りからアマウリの代表入りの話が過熱し始める。この時点でイタリア系ブラジル人であったアマウリにはブラジル代表とイタリア代表という二つの選択肢があった。そんな中、最初にアマウリに声をかけたのはブラジル代表。当時セレソンを率いていたドゥンガ監督は、2009年2月10日に行われたイタリア戦のメンバーに招集した。ところが本人と所属クラブのユヴェントスがこれを辞退。この選択によりアマウリはアッズーリを目指す道を選んだ。アマウリのイタリア国籍は時間を要したが、2010年4月12日にイタリア国籍を取得。2010年のW杯南アフリカ大会でアッズーリ入りという話も浮上したが、当時のリッピ監督はチームの成熟度と予選を戦ったメンバーを優先し、アマウリをW杯メンバーに選ぶことはなかった。

2010年W杯後イタリア代表は指揮官リッピが退任し、新監督にプランデッリが招聘される。すると2010年8月12日、プランデッリ・アッズーリ初陣のコートジボワール戦にアマウリは招集され、晴れてイタリア代表デビューを果たした。しかしその後、カンピオナートが始まると怪我に悩まされコンディショニングが上手くいかず動きに精彩を欠く。試合に出場しても決定的チャンスでミスをしてしまい、ユヴェントス・ティフォージやマスコミから批判を受けるようになる。チームの不振も相まって、新しい血を入れたかったユヴェントスは、冬のメルカートでアマウリ放出を決定。この時アマウリは、「ユヴェントスが得点力不足に陥ったのは僕のせいだったかどうか見てみよう。」との言葉を残し、パルマへと移籍した。

パルマでは11試合7ゴールとそれなりの結果を残し、11/12シーズン開幕はコンテ監督が就任したユヴェントスで迎えることになる。しかしまたも冷遇されると出場機会は皆無に終わり、冬のメルカートでフィオレンティーナへ完全移籍した。

History

シーズン 国 ディビジョン チーム名 リーグ プレーオフ 備考
出場 先発(途中) 得点 出場 先発(途中) 得点
2008/09 1 ユヴェントス 32 27(5) 12
2009/10 1 ユヴェントス 30 24(6) 5
2010/11(02/01) 1 ユヴェントス 9 5(4) 0
2011(02/01)/11 1 パルマ 11 11(0) 7
*
2011/12(01/24) 1 ユヴェントス 0 0(0) 0
2012(01/24)/12 1 フィオレンティーナ 13 11(2) 1
2012/13 1 パルマ 33 26(7) 10
2013/14 1 パルマ 31 20(11) 8
2014/14(09/01) 1 パルマ 1 0(1) 0
2014(09/01)/15 1 トリノ 20 7(13) 1

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